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地すべりに関する伝説について

キーワード:地すべり,災害,伝説,言い伝え

 伝説は昔話と異なり,当時の人々が関わった異常な経験を背景としている場合があります.特に大災害の様な特別な危難にあった場合,人々はその後を生きる拠り所を得るために,彼らなりの合理的理由として伝説を必要としてきました.これはわが国に限らず中世のヨーロッパでも見られた現象で,1284年6月26日に130人の子供たちが一度に消えた事実がハーメルンの笛吹き男伝説として現在も語り継がれています(文献1).村や町が地すべりに襲われた場合も同様で,その経験に基づくと思われる様々な伝説が知られています.それらは,①地すべりが発生した原因,②地すべりを防いだ経験,③地すべりで失われた(埋まってしまった)土地や建物に関する説話,④舞台設定等を通じて間接的に地すべりに関連する話の4種類に分類することができます.

 地すべりの原因に関する伝説としては,新潟県山古志村の盗人塚にまつわるものが知られています(文献2).江戸時代中期ごろから中野集落に伝わる伝説で要約すると,「いつのまにか村に住み着いた乞食がある時,食べ物を探して風口峠付近を彷徨いながら,虫亀集落に来た.ある家の軒下で雨宿りをしているうち,空腹のあまり出来心から台所にあった飯を食べてしまった.村人に発見・追跡され,中野まで逃げ帰ったが,虫亀の人々は中野まで押しかけて村同士の争いになった.怒った中野の村人は乞食を捕らえると,村はずれに2mほどの穴を堀り,頭に鍋を被せて生き埋めにした.乞食はあまりの苦しさに、怒った声でこの村を泥の海にしてやると叫びながら死んだ.後に村人は乞食の祟りを恐れて小塚(盗人塚)を築いて祀った.」という内容です.一箇所に定住することなく遍歴する人々(しばしば,被差別民)に対する定着民の態度は,その社会の特徴の一つです.ハーメルンの笛吹き男と山古志の乞食が共に遍歴する被差別民であったことは,社会人類学の面からも注目すべき点だと思われます.戦後,道路建設のためにこの盗人塚を掘り起こしたところ,錆びた鍋,頭蓋骨などが発見され,伝説に事実の重みが加わりました.2004年の新潟県中越地震では,山古志村で多くの地すべりが発生し,中野も虫亀も甚大な被害を受けました.現代ではどのような伝説が生まれるのでしょうか.

 地すべりに打ちのめされた村がある一方で,災害を自らの手で跳ね返そうと,伝説を創生した村もありました.新潟県板倉町猿供養寺では,旅の盲目の僧が村人と協力して地すべりを防ごうと試み,そのために自らが人柱となったという伝説が伝わっています(文献2).1937年3月,農地改良のために伝説の場所を掘り返したところ,座禅を組んだ人骨と鎌倉時代の甕が発掘されました.その後,この場所には立派な供養堂が建立されました.また,新潟県松之山町兎口には「杢坂」と呼ばれる小さな坂があります.この坂は,ちょうど松之山地すべりという大規模な地すべりの末端部に相当し,地すべりで地表面が隆起したためにできた坂です.江戸時代,村役人だった杢衛門は,激しさを増す地すべりを鎮めるため,この場所で自ら人柱となったと伝えられています(文献3).坂の傍らには神社が建立され,村人の団結の象徴として現在も守られています.


写真 1 杢坂とその傍らの神社


 繁栄していた町や村が,一夜にして地すべりと共に消えてしまったという伝説もあります(文献4).大分県別府湾にあったと伝えられる瓜生島は,豊後一の貿易港として大変栄えていましたが,地震によって海中に没したと伝えられています.港が無くなったこと自体には宣教師フロイスの記述がありますが,メカニズムが不明だったので,島の沈没は伝説の類であり科学的根拠に乏しいとされてきました.しかし,詳しい海底地質調査の結果,瓜生島があったと伝えられる地域の海底で地すべりの痕跡が見つかりました.すなわち,慶長元年(1596年)閏7 月12 日,別府湾湾口寄伊予灘を震源とするM6.9の大地震とそれによって発生した津波により,海岸と砂州で結ばれた瓜生島では,崩壊,液状化,地すべりなどの地変が発生し,まさに砂上の楼閣であった島は家屋とともに流出して海底に没したと考えられています.同様な伝説は陸上にも存在します.岐阜県白川村にあったと伝えられる帰雲城は,土豪内ヶ島氏の居城でしたが,1586年の天正大地震(M7.8)による大規模崩壊によって,城下町300軒余と共に埋没したと伝えられています.城内には多量の黄金が蓄えられていたという伝説ですが,現在も発見されていません. 越後二大伝説の一つ,「松山鏡」の舞台となった鏡ヶ池は,松之山町中尾にあります.この伝説は謡曲や国語の教科書にも取り上げられるほど有名で,古の越後と都の交流の物語です.伝説そのものは地すべりと関係ありませんが,鏡ヶ池は地すべりの頭部陥没で出来た池です.その後,中尾では天保の大飢饉にもめげず住民自らが地すべり対策をやりぬき,新たな伝説となりました3).当時の難工事の跡は今でも残っていますが,封建制度と地すべりの二重の苦しみの中で村民が団結し,集団の英知によって郷土を守りぬいた貴重な記録であると言えます.「松山鏡」の世界では中尾に住んだという大伴家持伝説の力が,多少は役に立ったのかも知れません. (釜井俊孝)


参考文献

1)阿部謹也:ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界,平凡社,1974.
2)小出 博・谷口敏雄・高野秀雄・大和栄次郎・黒田和男・安藤 武:地すべり地に生きる,「地下の科学」シリーズⅢ,実業公報社,1963.
3)松之山町:松之山町史,1991.
4)加藤知弘:瓜生島沈没,ぱぴるす文庫, 1978.


本記事は (社)土木学会編「知っておきたい斜面のはなしQ&A -斜面と暮らす-」 pp.32-33 に掲載されています。