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千年盛土の作り方

 1338年、南北朝の動乱の最中、足利尊氏が征夷大将軍となり、室町幕府が成立します。この年、未だ不安定な社会情勢であった京都周辺では、石清水八幡宮が兵火にあって消失しました。石清水八幡宮は、859年に創建されたと伝えられる、非常に古い神社です。北東の比叡山延暦寺と対峙し、平安京南西の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運・武芸の神として朝廷・武家等より篤い信仰を受け、連綿と神事を続けてきました。こうした神事では、神饌を盛った素焼きの土器(土師器)はリサイクルされず、一定量の「使用済み土師器」が廃棄物となりました。これらは、神社の近くに捨てられたと考えられますが、最近、本殿脇の遺跡において、土師器で埋め尽くされている谷埋め盛土が発見されました(幅約20m、深さ約3m)。土師器の形式から、ここは平安時代から中世にかけての「産廃処分場」の一つであったと考えられますが、興味深い点は、この谷埋め盛土が流水による浸食を除けば、ほとんど変形していない点です。周辺には崖崩れの跡も多く、1596年の慶長伏見地震を筆頭とする数回の大地震のいずれかで崩壊していてもおかしくありませんが、そうした地震災害にもこの谷埋め盛土は耐え抜いた様です。そこで、「土師器を含んだ盛土」と「含まない盛土」の震動に対する変形性(繰り返し三軸圧縮試験によるせん断剛性率)を比較して見ましたが、両者に大きな相違は見られませんでした。しかし、両者の透水性には大きな違いがあり、土師器を含んだ盛土は、含まない盛土に対して、約100倍も透水性が良い事がわかりました。また、水平方向(土師器の配列に平行)の透水性は、鉛直方向に比べて約3倍である事もわかりました。つまり、この谷埋め盛土は地下水が滞留しにくい構造を持っていたため、地震の際にも間隙水圧が上がりにくく、強度が低下しなかったので、約1200年間も盛土の原形が保存されてきたと考えられます。この事は偶然の結果ではありますが、あいかわらず危険な谷埋め盛土を作り続けている現代の我々に対して、安全な盛土の作り方を語りかけているようにも思います。冒頭の火災の痕跡は、谷埋め盛土の中に炭化物の濃集帯として記録されていました。行く川の流れは絶えずして、人間の歴史と地盤の歴史は繋がっています。温故知新は過去の歴史の中だけの事ではありません。(釜井俊孝)


図 土師器が濃集した谷埋め盛土の断面