斜面と建築の関係について考える
斜面と建築の関係史は坂から始まります.われわれは,昔から斜面を“坂”に造成して,道路や住宅地として利用してきました.事実,東京の坂道には江戸以来の由緒・来歴のあるものが多く,都心においても坂の周りには落ち着いた(やや古い)住宅が立ち並んでいる光景をしばしば目にすることができます(文献1).こうした起伏に富んだ町並みは,下町(町屋)から山の手(武家地)にかけて展開された都市計画によって作られました.同様に大阪の上町台地西縁の天王寺七坂は,大阪の歴史と文化にとって重要な舞台でした.住宅よりも寺院等の公共施設が多かったようですが,有名な料亭“浮真瀬(うきむせ)”のように,江戸,明治,大正を通じて大阪の文化センターのような役割を果たした建物も坂に面して建てられていました.
写真 1 大阪天王寺の口縄坂
一方,第二次大戦後,郊外の開発が進むにつれて,多くの住宅が,斜面を大規模に造成した地盤に建てられるようになりました.漠然とした概念としての“山の手”範囲はどんどんと南西に移動し,バブル景気の頃には多摩川を越えて横浜市北部に達しました.こうした新しい山の手では膨大な数の住宅が斜面に建てられています.つまり,われわれは,斜面を積極的に居住の場として利用し,斜面住宅が当たり前となった,史上初めての時代(斜面住宅大量生産の時代)に遭遇しています.
写真 2 大量生産された斜面住宅(西宮)
建築デザインの観点から見ると,斜面はユニークな形の住宅,つまり良いデザインを生む可能性を持った場所です.多少工費は高くなりますが,意匠的には積極的に利用が図られるべき場所であると言えます.住人にとって見晴らしが良いという事は,見上げられる視線を意識する建物を作るということに通じるのかも知れません.しかし,安全に斜面に住むためには,デザイン以外に考えるべき点が多いのです.例えば,住宅及びその基礎は,斜面の土圧,すべり,沈下の問題を解決しなければなりません.つまり,地盤条件と調和した建築デザインが必要ですが,その両立は簡単ではないようです.土圧問題一つとっても,色々と苦労して、これまで以下のような様々な形式が考えられてきました.
○抗土圧型(建物自体の強度で土圧に対抗)
・半地下型(緩斜面,地下室が土圧を受ける)
・土留め型(急斜面,全体で土圧を受ける)
○非抗土圧型(建物自体は土圧を受けない)
・片桟道型(橋構造,例:清水寺)
・擁壁型(擁壁で抑えられた盛土上の建物)
一方,最近では斜面と建築をめぐる新たな問題も発生しています.1994年の建築基準法の改正で,地下室(3分の1の壁が地下に接していれば“地下室”)は容積率に入れなくてもよいということになりました.この措置は本来,一般住宅による土地利用の有効化を目的としていましたが,一部のマンション建設・販売業者がこの条項を利用し,斜面に接したマンションの建設を始めました.すなわち,斜面の部分は地下室とされるので,斜面の下から基礎を立ち上げて,例えば“地上3階,地下6階”,実質的には9階という奇妙なマンションが出現するようになりました.当然,こうした建物は周囲の景観(谷底から見上げると巨大な壁に他なりません)や環境(斜面は住宅地に残された貴重な緑地でもあります)を悪化させるので,周辺住民との摩擦が各地で生じています.
最近では,わざわざ谷埋め盛土を作った後に,それに接して谷の出口にマンションを建設するという行為も見られます.この場合,マンションは通常の土圧に加えて,盛土内部の水圧,すべり土圧も受けることになるので,環境・景観問題に加えて強度上の問題点も抱えることになります.そこで,いくつかの自治体では条例を施行し,地下室マンションの規制に乗り出しています.
写真 3 地下室マンションの例(目黒区)
始めの頃のモダニズム住宅は,“人間の感覚が物質と対話する官能的な手触り”として提唱されました.しかし,現在では“住宅とは住むための商品である”ということになりました.しかし,若い頃“住宅とは住むための機械である”と言った建築家も,晩年には風土との対話を試みています.建築は単なる無機的な物質の集合体ではなくて,土地の記憶(ゲニウス・ロキ)を表現する景観の一部でもあるはずです.豊かで,快適で,安全な斜面住宅を供給するという建築本来の目的を達成するための,新たな住宅設計思想が望まれています. (釜井 俊孝)
参考文献
1)タモリ:タモリのTOKYO坂道美学入門,講談社, 2004.
本記事は (社)土木学会編「知っておきたい斜面のはなしQ&A -斜面と暮らす-」 pp.22-23 に掲載されています。